明日、検査に行くので記憶のメモ

明日の検査でやられないとも限らないので

今日のうちに、記憶を掘り起こしてみることにします。


子どものみの検査です。



気が重い。。憂鬱質なせいですが・・
重いんです・・



========================================



さて、3.11は地震で動転していました。

その後、余震が続き

子供達は保育園・学校を休み、家にいることになりました。


娘の学校はそのまま春休みに突入しました。



とにかく、節電節電の呼びかけが多く

余分な電気は使わないように


ネットショップもお休みしていました。

東北地方のショップさん達と連絡がとれず、ヤキモキしていたのも

この時期。


店長が、連絡のとれないショップさんを

探しに行きたいというのを

迷惑になるからやめな、とひたすらとどめていました。



しかし、仕事をそんなに休んでばかりもいられないので

仕事再開、15日だったと思います。


そこで、学校より外出を控えるようメールがきている事を知る。


そこらへんから、原発が危ないようだ情報が飛び交っているのを知る。


学校関係の友人達から関西方面に避難しているよ

こっちにおいで、と連絡が来始める。


店長に避難したい旨、伝えると

東北があんな状態で、自分達が避難するとは

いったいどういう了見だ!と強い口調で言われ。
どうしたらいいかわからない・・・と思っていると


友人達から、子どもたちに昆布を食べさせる事

イソジンを薄めて飲ませる事(賛否両論あり、オロオロする)

雨戸を閉めて、ガムテープで隙間を塞ぐことが掲載されているブログ記事を読む事

など、アドバイスを受ける。



昆布食べさせて、イソジンもなんとなく飲ませて

(これがいつ頃始めたのか全く覚えがない)


換気扇は止めて・・すると



なんとなく、大丈夫な気がしてくる(根拠なき楽観視)



お風呂につかっていると友人から逃げてくるように電話がある。



もう、なんかいいや~とか答える。



16日ごろ、かなり危険な状態だと知る。


mixiで、かなり危ないらしいよ、と騒ぐと

個人的にメールでかなり叩かれる。


”小出なにがしなんかのあんな反原発派の言うことなんて信用できないわよ!”

”乳癌はブラジャーでなるんだ!癌と放射能なんか関係ないし”

その他、色々・・・言われ凹む


なんか、世界が歪んで見えたのもこの時期。





3月15日に到着予定だった福島のお米が

当たり前に届かず、18日の大地宅配の野菜が届かず



我が家・・・食糧難に陥る・・・



15日ごろから店長は仕事に出ている

私は外出を始めている(買い物・仕事)


子ども達、いい加減家の中に閉じ込めておくのも

限界がきて、外で遊ばしたくなってくる。


22日、雨のやんだ合間を縫って

何故か、福生の多摩川ぞいの公園で遊ばす。

2時間ほどで引き上げる。



秋川付近のファーマーズマーケットで野菜を購入。

たしか、検査をしてるので安心ですと書いてあったような記憶がある

なんの検査をしたのだろうか・・・




その晩、一番下が鼻血を出す

枕とシーツが真っ赤に染まるくらいの大量。

娘が鼻血を出す。たいした量ではないが、生まれてから2回目くらいなので

本人が驚いていた。


23日から保育園再開。

いい加減、仕事をしないと大変なのとパートさん達が

関西方面に避難しているので、仕事量がこなせていないとのこと

仕事大事なので、保育園に行かせる事にしたのだが

風向きが悪い・・・


マスク着用&先生に外遊びを控えるように

お願いする。


『○○クン(一番下)が、みんなが外で遊んでるのに我慢できると思いますか?』


確かに・・ひっくり返って大騒ぎだろうな・・


”わかりました”と引き下がる。



その晩、また一番下の子が鼻血を出す、やはり大量。



『被曝した・・』


と確信し、その後何度か子供達連れて自殺しようか検討する。

当時は、自殺が多かったと記憶している。


だって、耳元でささやく声が聞こえるんだもん。

”もうだめだよ”って。


昔よんだチェルノブイリの少年を思い出したのもこの時。



でも、ネットで調べまくって

被曝しても、なんとかなることもあることがわかった。

出来ることは、ある。



その後、野菜は岡山~途中から山口より西のものを選んで購入

水は、アクアクララを6年続けていたのだが

震災の影響で注文が殺到したらしく

元々の会員には手が回らないのか本数制限されてしまい

最低限口に入れるもののみ

アクアクララ(RO水)にて調理する



外出は私の目の届く範囲では

必ず、帽子・マスク・ツルっとした上着着用


玄関に入る手前で必ず脱ぎ、玄関から持ち上げない事を徹底


ちなみにマスクは2重ではありませんでした

本来なら、2重マスク&濡れガーゼをするべきだった。




ゴミ捨ての時に雨に当たるとピリピリするときがあると感じたのは

4月ごろまで何度かありました。



九州から野菜を購入する事に慣れてきて

アクアクララも元に戻ってきたところで



こんな生活もありかと思い始めるものの



子どもの運動会、山へ行く行事(田植え)など

何度も何度も苦渋の決断で、子どもにマスクは絶対とらないように

溜まった水に肌を当てないように、水がはねかえって口に入らないように


口うるさく言い聞かせるも・・



駅に迎えに行くと

マスクをずらしているムスメに愕然とする。

友人と一緒にいるときに一人でマスクは恥ずかしかったらしい。




真ん中のムスコは、私の話を良く聞き

風向きが悪いときは保育園のお部屋で塗り絵をしたり

外遊びを控えてくれていた


一番下は全くダメ。

お迎えの時に

『今日も水溜りでい~っぱいどろんこになりました』

『草むらの茂みにどんどん入っていきました~』

と衝撃的な事を言われ・・・凹む





そんなこんなで5月末、だいぶこんな生活にも慣れてきたけど

これからどうやって生きていけばいいんだろう?

4号機がいつも危機的状況で

食物は放射能による汚染。



mixiで福島、茨城など汚染されている地域のものは

まず、口にしないほうがいいよ!

と流したあと、友人からメールで


『福島の農家の人が自殺したのはあんたみたいな人間がいるからだ

あんたが殺したんだ』


調のメールが届く。



福島の農家の人が苦しむのは

私のせいなのか?

私が殺したのか?


自問自答しても、さっぱり私が悪い気はしないが




あんまりな言われように、店長の前でだだ泣きする。

はじめて、人殺し呼ばわりされたなぁ・・・



なにが何やらわからなくなって、クラスメイトのママ友達と

話をしてみよう、と思いつき

お話会を開いてみる。



『福島の痛みをシェアしよう』



という話が出てきた。




そこで、あぁ、ここは私はいたらいけない場所だと理解した。




地震、つなみの震災なら、痛みはシェアできる

率先して、農家さんの作った作物を食べまくる。

大地宅配はほとんどが福島・茨城の農家さんのお野菜で

10年以上続けていて

トマトの農家さんにお手紙を送った事もあった。

だから、応援なんていくらでもする心づもりはあった。


汚染されていない食物ならば・・


放射能漏れの事件で受けた作物の汚染のシェアは

私には絶対できない。


私に言える言葉、当時すがっていたかもしれない言葉



”子供達はゴミ箱じゃないんだよ。”



汚染された食物は、本来、廃棄処分なんだよ。ゴミとして



絶対食べさせられない。



そして、東京という場所は(今、日本のほとんどと理解してるけど)

それを認めないんだとわかった。



遅かったが、やっとここで理解できた。

私だけ、が、ずれてるんだな。


もし、みんなが、頑張って汚染されてないものを

子どもたちに食べさせる会みたいに作ろう、学校にも伝えよう

子どもを守ろう。とかってノリになってたら


東京から動けなかった。




私だけ、おかしいから・・・東京から離れよう。




お話会が終わった夜

店長に




『じゃ私、子供たち連れて九州に行くわ!さよなら』



と告げた。


[PR]  42歳アラフォーの婚活   しわ、たるみエイジングケア



コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)